1月終了 アクセス総数800弱

日記
01 /31 2005
1月16日の誕生日に始めたこのブログ。
カウンターがちゃんと動くようになって1週間ちょっとで800弱のアクセス総数になってます。(何でこんないいかげんな数字かと言うと…いま、ここのカウンターがSoftwareErrorだからなのだ。これ、この時間帯には結構良く起こることなんだけど…うちだけ?)
一番多かったのは先週の金曜日?SHIROHネタ4連続の翌日。
SHIROHから受けた感動をこういう形で伝えたいと思い、何十人かの、何百人かの人にとりあえず読んでもらう。ひとつの作品が引き起こした現象としては非常に前向きで、能動的でよろしいのではないかと…自己満足。

このブログ自体はもちろん無料で何もお金はかかっていない。でも、時は金なり、であるならば。それなりの支出があるということで。それに見合った収入=嬉しいな、とか、いいな、とかいろいろが、あるのかどうか。始めたばかりの今は、まだ良くわからないけれど、続けるうちに見えてくるものがあるかもしれない。

素子の読書あらかると 552円

読書
01 /30 2005
新井素子 中公文庫 2005年1月25日 
akaponさんのところの新井素子研究会で文庫での出版を知って、本日やっと購入。(こういう風に書く場合って、URLを書いたりリンクを張ったりするべきなんだろうか? とりあえず今回は、よしておこうかな…?)
単行本として出版されたときにもちろん読んではいるんだけれど「あとがき」が新しく付け加えられているなら素子ファンとしては買わないわけには行かない。

夕方、お風呂に入る前にちょっと読んでおこう、そう思って読み始めたのはなぜかいつもどおりの「あとがき」じゃなくて、「はじめに」。
これは読書エッセイであって、書評じゃありませんという読み覚えのある文章。SHIROHにどっぷりはまっている現在だから、素子さんの口調(文体、というべきか?)が、妙に懐かしくて、新鮮。そして、読み進めること6ページ。こんなセリフに出会います。

「愛読書といえる本にめぐり合うことって、恋に似ています。 運命でめぐり合っちゃって、最初の数ページを読み出したときから惹かれ続け、読了すると、もう、ぼおっとしちゃってまともな思考ができなくなる。」

…なんか、今、こういう状態にないか?私。いや、私だけじゃなく、かなりの人間がこういう状態じゃ、ないか? 

素子さんは続けます。「恋愛っていうのは、精神の病気の一種です。 なぜその男(ないしは女)相手にそこまで思い込める? って、恋愛をしている本人以外の人殆どが思う、そんな相手にとことん思い込んでしまう、それが“恋愛”で、本当に愛する本にめぐり合うって、それと似たような一種の精神の病気なんだと私は思います。 でも。愛する人をみつけるのも、愛読書をみつけるのも、多分、人生の醍醐味です。それがあるのとないのとでは、きっと、人生の豊かさが違います。」

一度読んでるはずの文章なのに、とってもとっても目からうろこ。本と演劇・音楽の違いこそあれ、きっと何かに嵌るってのは「運命」だ。1999年に山崎まさよしに出会ってしまったのも、2004年の冬にSHIROHに出会ってしまったのも、運命。理屈じゃない。
「そんなに良かった?」「んー、私あんまり好きじゃない」
そういう評価を他の人からもらったところで、私の中の何かが変化するわけじゃない。だって、運命だから。病気だから。
そういってもらえることで、自分をよりしっかり肯定できる。自分で自分を好きになれる。新井素子はやはり(私にとって)追っかけ続けるだけの価値のある作家であったと確信した。

で、本文の最初が「死ぬのが怖くなくなる本」。立花隆さんの書いた「臨死体験」を題材に書かれているのですが、そこにまた出てくるんです。SHIROH依存症の私の心をほわぁーっと包み込んでしまう文が。

「要するに。私は、信じたかったらしい。何をって聞かれるとかなり困るんだけど……とにかく、“何か”を。“何か、絶対的なもの”を。」

「日本書紀」「古事記」「般若心経」「聖書」と読み進めて、「臨死体験」を読んだところで、上記のようなことを素子さんは考えたという。死が怖かったから、これらの本を読み、死について、生きることについて考えたって。

死と、生と、宗教と…。今、この本が文庫化され、こうして再び手にとったことも、運命、かもしれないい、なんて思ったりした。

そんで、やっぱり素子さん読んでると、文体が、素子さんになる。こうやって書きながらも、ちょこちょこつまみ食いするように本に手が行く。1978年、素子さんに出会ったのも、運命、なんだろうな、やっぱり。

山崎まさよしOKST'05 大宮2枚 10,500円

山崎まさよし
01 /29 2005
「山崎まさよしって、えと…シチューの歌の人?」
世間ではこの程度の認識なのに、なぜにこんなにチケットが取れない?オリコンの1位になったことも、100万枚売ったこともないのに、コンサートチケットだけは、全会場即日ソールドアウト。即日どころか、抽選先行すら当たらない状況。
それが。今回フリップサイドもe+も当選。FCの先行も第一希望通ったし、なんかあとで悪いことが起こるんじゃないかと心配するくらい絶好調。
これで一応9本確保。一般発売ではほとんど無理だと思うけど残るは、なら。10周年記念ライブを10本、というきりのいい数字で飾れたらいいな。

さて、その10周年記念ライブ、内容はどうなるでしょう?アルバム出さずに行うツアーって私の記憶にはないから、セットリストの予想がつかない。10年記念にっていってシングルばっかりなんてのは絶対なさそうだし。
第一シングル曲よりもカップリングやアルバムの曲の方が人気ある人だし。各アルバムから満遍なく、なんて事をされても嬉しくないし。
いつも5,250円のチケ代よりもっとずっと素敵な時間をくれるまさやんだけど、このやたら忙しいスケジュールの中でどんなライブを作っていってくれるんだろう。

<やって欲しい曲(極個人的嗜好)>
十六夜
PASSAGE
区役所
僕らは静かに消えて行く
ヌイチャイナシンドローム
根無し草ラプソティー
ドミノ
ドレッシング
カルテ
江古田
名前のない鳥
ひかるかいがら(ワードリミックスでも可)
Rough Rock 'n' Roll Boogie
坂道のある街
僕と不良と校庭で
僕らの煩悩
HOME
月曜の朝
トータル25,6曲2時間半から3時間のライブ希望

そろそろSHIROHライブCDから、まさよしくんのアルバムに入れ替えるかな?

吾はいかにしてまるちらーとなりしか。SHIROH観戦記 大千秋楽

演劇
01 /27 2005
1月10日の大阪公演から帰宅後、SHIROHライブCDを聴く。
翌日の仕事に備えて寝なくちゃいけないのに、目が冴えて、眠くならなくて、頭の中でその日のSHIROHを反芻しながら複雑な気持ちに陥っていた。これで最後と決めたSHIROH観戦。すばらしい舞台を見られた幸福感と、もう二度とこの幸福感を味わえないかもしれないという焦りにも似た気持ちとが胸のあたりでない交ぜになっていた。

終わってしまったのなら仕方ない。だが、そこで(そこって程近くはないけど)幸福の種が人々に向かって投げられているのに、自分だけが受け取れないのは…悲しい。悔しい。いやだ。
わがままって言うより、本気の中毒者としての感覚。
このあたりで自分でも「おかしいな」と気づき始めているのだが、まだ、認めることはできずにいた。自分がまるちらーだなんて!

4時間ほどの睡眠で出かけた仕事場では、前日に大阪遠征していたことなどおくびにも出さず、4時間睡眠の疲れも見せずハイテンションで動き続ける。それでも空き時間には翌週のスケジュールを確認し15,16の二日間を何とか休めないものか、でもやっぱり千秋楽って特別だろうし行くんならそっちかなあ、でも遊びのために平日休むなんて、勤続○○年の今まで一度もやったことないし。
…なんてとりとめのないことを考え、何とかもう一度だけ、もう一度だけ、あの幸せな空間に身を置きたいと、人生初の行動に移ることになる。

お福@杏子と同じような時期に同じような環境で高校生活を過ごした自分。当然同じように「優等生」の生活をしてきた。結婚してないことをのぞけば、親の望むような職に就き、親の望むような人間関係を保ち、親と同居していた長い年月はより良いパラサイトとして適度な負担と快感を与えていた、と思う。
そんな私が、ライブに通い始めたのをきっかけとして、一人暮らしに移り、とうとう「遊びのために仕事を休む」という事態にまでなる。極々、個人的なことだけれど、これは、とっても大きな「変動」だ。
大学時代には舞台を見にあちこちでかけた。それこそ帝劇から池袋の30人で大入袋が出るようなところまで。
ミュージカルもストレートもそれなりに、たくさん見た。それ以来の舞台通いに。うん。ある意味セカンドバージン。2度目の成人式。
あ、だめ… なんか、いろいろ考えたら、泣けてきた。千秋楽から1週間もたっているのに… 

閑話休題 

月曜日、スケジュールの確認を自分の頭の中で済ませた。帰宅途中。営業範囲が終了したところで路肩に車を止め、キョードー大阪に電話をかける。だが、前売り券は完売。千秋楽の当日券の販売は3日前にならないとわからないので、15日過ぎに電話をかけろ、とのこと。チケットを確保したければ「ろーそん」に電話しろと。
そんで、かけました。ローソンチケ。千秋楽残り20枚のうちで一番いい席です、と3階後ろから2列目を案内される。
「当日券でも大丈夫かな?」と思うが、帝劇の例があるのでとりあえずはチケットを確保しようとその席を買う。
抱きしめるようにしてそのチケを持ち帰り、休暇の申請をしたのはその翌々日、水曜日。
「来週ちょっとお休みいただいていいですか?」
「えとお、一番仕事に余裕のあるのは…火曜日、18日、かな?」
こんな風にして職場の皆様にはまったく何も知らせず、私は本物のまるちらーに育っていったのでした。

そして、そして。1月18日。仕事に出かける人々に混じって、大阪に向かう。高揚した気持ちと、どこか後ろめたい気持ち。で… 18日の日記のmoreに続くのだ。

こんなにはまれる芝居に出会えた幸運に感謝。このブログ始めたのだって、SHIROHの話をしたかったからだし。このページを訪れてくれる人のほとんどがSHIROHの検索で来てくれているわけだし。人生変えたこの演劇。しばらくは、このまま、浸っていよう。幸せだから。

大千秋楽、手に入れたものは「花の紅天狗」のDVD(5,800円)と、たくさんの涙と、笑顔と、幸せの記憶。凄いぞSHIROH!凄いぞ新感線!凄いぞ、日本のミュージカル!!! 

ありがとう

SHIROH ライブCD 3000円?

演劇
01 /27 2005
昨夜書いた記事に値段入れ忘れた。確か3000円くらいだったはずだが、覚えていない…
値段なぞ気にせずに買って、聴き浸ってます。ただねぇ、よいアルバムに共通することなんだが途中で止められないのが欠点。止められないどころか、リピートしてしまふ…

以前シカオちゃんがマスタリングから2週間で発売したときに「やればできるじゃん」って言ってひんしゅく買ってたけれど、神業のような短期間での発売だわ。普通、マスタリングから早くても1ヶ月だよ。
SHIROHスタッフに感謝。

吾はいかにしてまるちらーとなりしか。SHIROH観戦記 梅コマ1/10

演劇
01 /26 2005
リオが笑った。

一幕の最後、二人のしろうが出会い、ともに闘う決意をしたシーン。二人を見つめるリオが、笑っている。 …笑っている?嬉しそうに… その時、一瞬のうちに理解した。
「この子は、何にも知らないんだ。」
「これから起こることを、何も知らないんだ。」
それがわかったとき、それまで我慢していた涙が溢れた。リオがかわいそうで、その存在が悲しくて、愛しくて。

その登場の仕方と同じように、ふわふわとした印象でどこかつかみ所のなかったリオ。SHIROHという複雑に気持ちが絡み合う物語の中でリオだけが、たった一つ残されたジグソーパズルのパーツのようになにか落ち着かなかった。その彼女が、二人のしろうが「皆殺し」への第一歩を踏み出した、まさにその瞬間に本当に嬉しそうな顔をした。(あ、もちろん演出としてはもっと前から、リオには表情がついていたらしい。でも、それにこの日まで私は気づかなかった。)
その時、SHIROHの世界のパーツがすべて収まるべきところに収まり、天草・島原で起きた人の世の出来事が完全なる物語としてステージの上に昇華した。(気が、した。)リオは、迷える四郎やシローを導く「神の使い」ではなく、ましてや物語全体を見通す目をもった「絶対者=神」でもない。肉体こそなくなっているけれど、その気持ちは、力は、あの磔にされたときとなんら変わらない。
「さんちゃご、四郎様。」
ただこれだけ。

天の御子であるがゆえに孤独であったろう四郎を愛し、かつて天の御子であったがゆえに孤独である四郎を愛した。その四郎の孤独を癒す仲間が、愛する友ができたと知ったとき本当に、本当に心の底から嬉しかったのだろうと、思った。結局はシローの存在が四郎の孤独をより深め、二人が出会ったことで物語は終局に向かって動き出してしまうのだが… 

他の多くの皆殺しにされる人々と同じように、何かを信じ、信じるがゆえに強き心をもちえた存在として、普通の人間としてのリオを、その時初めて知った。
だ~~れも、超人ではない物語。神の声を持つシローも、かつて奇跡を起こせた四郎も、皆殺しという言葉を欲した伊豆守も、みんな当たり前に「人間」。肉体は滅んでしまったけれど、魂だけがここにあるリオも「人間」。

そんなことがわかったとき、本当にど~~~~~~~っぷり、SHIROHの世界に埋もれてしまった。2幕からは、もう、隣の人に迷惑かけないように、しゃくりあげたりしないように気をつけながらステージの上を見つめ続けた。
一人一人の人物の行動を、表情をけして見逃さないように。
寿庵が語るすべてのことが闇に融けてしまうまで。

この日は開演前に、関係者受付のところにいのうえさんが立ってらした。特に騒がれるでもなく、普通に関係者とおぼしき人とお話をしていらっしゃいました。「パンフと同じ顔だぁ」なんてわけのわからないことを思ってしまった私。
終演後、チケット売り場に立ち寄りそうになる自分を必死に押しとどめ、大阪駅へと向かったのでありました。

鞄の中には、我慢しきれずに買ってしまったCD1枚。これがあるれば我慢できる。と、思ったのだが、逆効果だったようで… 
自分でも信じられない行動をとるのは、そのわずか一日後のことなんで、ある。


追記 本日のラジオ。久しぶりに聞く「明日の風」に涙ぐむ私がいた。♪ありったけの この声を 届けて欲しい 君の元へ… 
なんか、今の自分の気持ちとリンクしてしまったらしい。

吾はいかにしてまるちらーとなりしか。SHIROH観戦記 梅コマ1/9

演劇
01 /26 2005
1月9日、雪の関ヶ原を越えて一路大阪へ。
ライブの遠征では九州、北海道平気で出かけてしまう人なのに、大阪遠征は一度もないという事実。初の大阪遠征が音楽ではなく、演劇であることに驚くとともに…それだけの力をもった作品に出会えた幸運を思う。

ホテルにチェックインし、荷物を解き、マントに見えないこともないコートと、胸元に3つの十字架のペンダントをつけて梅田コマ劇場に徒歩で向かう。
ホテルの人に教わったとおりに知らない街を歩く。しばらく会えなかった恋人に会いに行く気分。
今日もみんなは元気かな? いい声で歌っているかな? 地元なんだから、なんか変わったことやってるのかな? 

梅コマのあっけないほどの質素なロビーにちょっと「あれ?」ってなりながら3階Z席に座る。前から3列目、通路際。かなり高い位置から舞台を見下ろすことになるが、全体を見通すことのできる好ポジション(だから。このポジティブシンキングは依存症のせい。)
モニターに映る映像って大阪も東京も同じか? なんてことが気にかかり、客席の空白がもっと気にかかる。S席だって、A席だって空いてるじゃないかよおおおおおおおおお! 

  ……そんなこんなで、大阪の夜の幕が開く。

ステージ全体、客席も含めた劇場の空気を読み取りにくくなるから、たとえ何万人単位の野外ライブでも双眼鏡は使わない。(持っていったことはあるんだ。ライブ通い始めた極初期に)高々1900人の劇場では持っていこうかどうしようか検討すらしなかった。
だから細かな顔の表情はわからないのだけれど、1階席で見た帝劇公演のときよりリアルに感情が伝わってくる。声の色、視線、そして、たたずまい。そんなものから、さまざまな感情が伝わってくる。
それぞれの役者さんの実物の涙は目に映ることはなかったけれど、泣いている気持ち、涙とともに流れ出した心の叫びは、ちゃんと見えていた、様な気がする。

アドリブでないところは次のセリフがわかっているので、そこにこめられた想いをさまざまに考えながら見ることができる。「ああ、ここは、そういう意味が含まれているのね。」 
アドリブが入るところは次のセリフがわからないから、そこに向かって行く緊張感と今日のネタを聞けたというカタルシスを味わうことができる。「そう来たか!」「シゲちゃん逃げないでぇ!」 

客席の反応は流石に関西。つぼを心得てらっしゃる。ギャグが決まるたびにちゃんと拍手。役者さんもちゃんと反応して。
舞台は生もの。客と舞台の上の人と、舞台の裏の人の呼吸があって初めてすばらしい一瞬が出来上がる。
この奇跡のミュージカルは、うん、自分で言っちゃう。
客もすばらしかった! 


それにしても、梅コマさん。ロビーを含めた異空間作りにもう少し力を入れてくれると嬉しいなあ。外のコンビニで買ったサンドイッチと紅茶ではやっぱり、雰囲気でないんです。


明日の話題は、「リオの笑顔」になるはずだが。さて…

月は 満ちました・・・

日記
01 /25 2005
20050125062003.jpg



今朝の月

衝動的に撮ってしまった。
部屋の真正面。
沈み行く、満月。
泣けてくる風景。

吾はいかにしてまるちらーとなりしか。SHIROH観戦記 大阪までの道程

演劇
01 /24 2005
「大阪に来い!」と、上川四郎に誘われたので、大阪行きも検討してみようか、と思い始める。
このときすでにSHIROH依存症(まるちらー)になってしまっているのだが、もちろんまだ自覚症状はない。


大阪公演についてはまったく情報がなかったので、何とか知ろうとするのだがそのときにはこのPCは修理に出ていたし、関東版のぴあには梅コマの情報はまったくなかったので(初日、千秋楽の日すら知らなかった…)携帯を駆使して情報をあさることになる。
1月の自分のスケジュールと相談して、一度の大阪行きで最高回数見に行ける日、を考える。初日から10日までの3連休をすべて使えば4本見られる。と考え付くが… いくらなんでも3連休一日も仕事に出ずに済ますわけには行かないだろうし…。 

ということで、1日半仕事、1日半SHIROHの予定を立てる。それでもチケットがないことにはどうしようもないので近所でネットのできるところに出かけて梅コマのHPにアクセスし、ネットじゃ手に入れられないことを知り、1時間かけてぴあまで出かける。(こういうこと書いてるとほんと悲しくなる。どんな田舎だよ。)
9日Z席(なんでB席、じゃないんだ?)10日A席(ともに3階だけど)。無事チケットは手に入る。あとは宿。ぴあからの帰りの電車の中で携帯で梅田の宿を予約。新幹線やらなんやらの時刻も携帯で調べる。
9日は仕事を1時に終わらせれば良いことを知ってその日までのスケジュールを綿密に立てる。

SHIROHを観るために日常のすべてを調整する。…完全にまるちらー。SHIROH依存症。SHIROHに対する執着が、生活を支配する。
携帯の料金を気にしながらも演劇・役者板を見ずにはおられず、今までずっとロムっていた邦楽板でもしたことのない書き込みを、SHIROHスレでは難無くやってみたりして。

東京公演はクリスマスから年末の世の中も浮かれた中での、それこそ夢の世界での出来事。でも、年明けからの大阪公演は、現実の世界の中に侵食してきたSHIROHとの再会。
エンターテイメントの、別世界での、ある意味現実逃避の舞台での出来事が、現実を侵食してくる。何を見てもSHIROHの場面が浮かんでくる。TVの時空警官(ダッケ?)に、涙したりして。(今も、内野さんの出るドラマで有明海が出ていて…ワカメを返せ!ワカメを返せ!…って、浮かんできてしまう。ああ、まだ治っていないのね。)
遠藤周作の「沈黙」を読んだ読書感想文の中の「わしは弱か」というセリフに四郎の弱さを想い、2ちゃんに書き込まれるあれこれにキリスト教の迫害の歴史や、政のありようを思う。日々入れ替わるギャグのねたに思いを馳せ、どんなに楽しい舞台が待っているのか…

あああああ、早く見てぇぇぇぇ!!!!!

でも、職場にも家族にも、友人にも「大阪に行く」なんてことを一言も話さず、SHIROHにはまっていることさえ誰にも伝えず、一人静かに「その日」が来るのを待つ私であった。

祝!ちとせ

Augusta
01 /24 2005
本日未明オフィシャルHPにて女児誕生の知らせ。
昨年の流産のニュース以降ずっと気にかけていたのだけど、やっと嬉しいお知らせを聞くことができました。お母さんになった、ということともに「復帰」の気配が感じられる文面に、心が躍りました。

インディーズデビュー直前、J-WAVEから流れてきたBirthdayに人生一度だけの「音楽で体に衝撃が走る」という体験をしたあの日。
インディーズデビュー記念公録で目は伴奏をするまさやんに釘付けになりながらも、全身でちとせの声に浸っていたあの日。
野外で聞きたいと思っていたあの声を富士急の広い広い空の下でたくさんのお客さんとともに聴くことができたあの日。ワンコーラスすんだところで拍手が出たのが、嬉しかった。
そして。そして。いろんなことがあって…

でもどんなときも、歌のない日々なんて決してなかったのだろうと思う。流産をしたときも、次の子供を授かったときも、母親になった今でも、きっと、決して歌うことはやめなかったんだろうと。
おめでとう。おめでとう。

夏にはオーキャンで会えるかな? 新しい歌とともに。

吾はいかにしてまるちらーとなりしか。SHIROH観戦記 東京千秋楽

演劇
01 /23 2005
24日の初見の後、すぐ次回のチケ買いに走ったかというとそうではない。東宝のHPで26,27,28日の空席を確認し、電話をかけるまで実に1日半の空白、というか逡巡があった。
しかし、この逡巡が本格的なまるちらーを産むための伏線であるとは、デウス様だってご存知あるめえ。



やっぱり行こうと決意し、帝劇に電話したのが26日午後。「これ以降のチケットはすべて完売となりました」…げ。じゃあ、千秋楽の当日券しかもうチャンスはないということ? 仕方ない、並ぶか。このときなぜか「外れる」という考えはまったくなかった。

当日朝、抽選に集まったのが136人。私は、もちろん(このあたりの自信の持ち方がすでにおかしい)当選。手に入れた席は1階補助席。11,000円。前回はステージに向かって左側、今回は右側。こんな風にいろいろな角度から見られるのもラッキー。ステージ脇に下げられた二人のしろうの絵をそれぞれじっくり眺めることができるというもの。…こうまで、前向き思考ってほんと凄い。どうしちゃったんだ私?!

外は雪。あまりの寒さに、手袋と靴下を買い求め、そそくさと昼食を済ませて帝劇へ。満席の帝劇は千秋楽の華やかさに包まれていた。ダフ屋がいないことと、ロビーに花輪のないことにライブとの違いをしみじみと感じながら、開演を待った。


寿庵が三味線を抱え、一弾き じゃーん!
自分で弾いてるのか、モニターを見ながら階段下のミュージシャンの方たちが弾いているのか良くわからない。寿庵が弾いてるとしたらコードの変化をどうしているのか、ミュージシャンの方たちが弾いているのならタイミング合いすぎじゃないっ?なんて考えている間に舞台は島原の人々の弾圧のシーンに。
2度目なだけに落ち着いて物語を追える。ゆとりを持って歌詞を味わうことができる。

♪信じよう 神の御子を~ 
あれ?杏子、今日はちょっと喉がつらそう。千秋楽まで突っ走ってきたんだものね。元からあんまり声量とかあるほうじゃないし。喉詰めて歌うタイプだし。最後まで持ってくれよ~~なんて祈っちゃうところが、やっぱオーガスタファン。


「それは違う」
そう始まる上川さんの歌と立ち回り。テレビでももちろん芸達者振りを発揮していたけれど、こんなに舞台で映える人だとは。キャラメルボックスの人だということは知っていたけれど、ほんとに舞台人だったんだと実感。まして初ミュージカルであれだけの歌を歌いきってしまう。ちゃんとおちゃらけもやってのけて。
「人は人を裁くことはできない」
そう言う四郎がその後変わっていってしまう、変わって行かざるを得ない。そう知っているから、ここでの歌が、セリフが悲しい。耕したい男ナンバーワンのままでは…いられない。


♪どこだろ~ 風の塔がある
待ってました!って掛け声をかけたいくらい、見事な登場、見事な歌。ステージから客席に向かって気持ちよく飛ぶ凧。憧れを翼にして空高く、空高く飛んで行く凧、空高く、空高く広がって行くシローの声。
これだけの歌唱力がありながら歌が、歌手としての歌がまったく印象に残ってないのはなぜなんだ?なんて、現実世界のことも思ったりして。(曲を作ることと、歌うことはまったく別の能力だからなあ。なんてシビアに思ったりする余裕もまだあった。この頃までは)

田舎のがきはたわいないや
かっこいいくノ一お密。くノ一が、女に戻って行く過程が、悲しい。女としてシローに惚れたのか、もっと母性愛に近いものだったのかもう少し書き込んでほしかった気もするけどはっきり語らないからこそ味わえることがある。っていうか、人の気持ちなんて自分でだって良くわからない。もう少しシローの歌を聴いていたかった… うん、お密サン。私も、そう思ったよ。


この次の登場は54分後じゃ! 前回は1時間後だったのに、6分早まるんかい?(大楽は52分後だったから、楽日はカーテンコールが伸びることを考えてマキでの上演か?!)
氣志團じゃないんだよ。 まじめな人なんだろうなあ、と思う。一生懸命ギャグをやる。ほんとにおもろい。

♪イズノカミ イズノカミ
もう歌唱力とか何とか、関係ない。歌は下手だけど、それ以上のものがそこに存在する。中尾明と出汁で争ってるだけの人じゃないんだ。そういえば、何年か前に完全一人芝居、やったよなあ。何てことも思い出した。
人に憎まれて何ぼだ 
そう思い切れなかった、思い切れなかったからこそ勝つことのできなかった反乱軍側のリーダーとの対比が鮮やかになる。



次々に出てくるギャグに救われる思いがする。2幕後半のような哀しい勢いで全幕通されたのではつらすぎる。言いたいことはいっぱいあるんだろうと思う。
「物語」だけを伝えるためにあんな情熱は注げない。物語以上に伝えたかったのは「想い」。そう「想い」。思想ではない、教えでもない。エンターテイメントであることと、想いを伝えることとは矛盾しない。
とは言うものの、その一言に命かけてないかお前さん!って思われるほど、毎日毎日セリフ考えてくるんだろうあなたたちが好き。東京公演のうちはシゲちゃんもちゃんとイズノカミと絡んでくれてたのになあ。でも、この日はどう収拾してよいのやら… という内容だったので、大阪ではその反省を活かして一切かかわらなくなったのかなあ?
ま、それも面白かったけど。



そして、物語は一気に終局へ。ストーリーを知っているからこそ得られるカタルシスを十分に味わい、涙なんかも流してカーテンコール。
楽恒例だという餅撒き!楽しいなあ、ライブじゃこうは行かないなあ、お餅ほしいなあ、なんて思いながらもそばに来たアンサンブルのお兄さんに向かって手を出す勇気のない私。
前回のカーテンコールでは「その手拍子はどうよ?!」と思って乗りきれなかった光を我らに。とても素敵な曲なのに、とても幸せになれる曲なのに乗れないのは、悲しい。で、「ええい、もう今日が最後だ!」って、開き直り。あの手拍子は無視して(それでも回りに気を遣って、周囲に音が漏れないように気をつけながら)倍速、裏打ち。頭と肩はしっかり揺れていました。
握った拳に~ はもちろん、小さく足(つま先だけだけど)まで踏み鳴らして。気持ちよく、気持ちよく千秋楽を迎えたのは、役者さんたちだけじゃない、お客さんたちも本当に気持ちよく04年を終えられる。ああ、今年このお芝居見られて良かった。鳴り止まない拍手の中ですばらしい舞台に出会えた幸福に浸っていた。
何度も何度もカーテンコールは繰り返され…客はいつまでたっても帰らない。何度も客席に終了のアナウンスが流れるけど、客は帰らない。そうしたら。最後に出てきた上川さんが言った。
「そんなに見たけりゃ大阪に来い!」
「大阪…。大阪かあ。」

続く


吾はいかにしてまるちら-となりしか。SHIROH観戦記

演劇
01 /22 2005
「12月24日なら空いてまっせ!」e+だか、@ぴあだかのメルマガに言われて手に入れた帝劇チケット。「杏子さんが出てるから」あまりに高額なチケ代になかなか思い切れないでいた帝劇ミュージカルに足を踏み入れるきっかけはほんとに些細なものだった。

24日、クリスマスイブに友人と二人12,000円のS席で初見。島原の乱の話だということと、しろうが二人いて一人は神の声を持つ少年、もう一人が史実に名を残す益田四郎時貞だ、という設定であるという以外な~~~んも知らずに見に行ったお気楽さが、良かったのかもしれない。新感線の名前も「アカドクロ」「アオドクロ」なんて名前も「知ってる」だけ。開演前のロビーで放映されていたDVDで初めてそれらを見て「へえ、なかなか面白そう」…その先、この劇にこんなにはまってしまうとは、私自身知る由もなかったのである。




開演直前に終了時間が10時を回ることを知って驚く。げ!夕飯はここで食べなきゃ、そんで、終電かあ?!!ちょいと腰が引け気味になりながらもモニターに映る都会の雑踏となつかしの70年代ロックに気分が高揚してくるのがわかる。そして!


高橋由美子ともう一人の女優さん―このときはその程度の認識、申し訳ない。>聖子さん―が語り始め、歌い始め… わずかばかりの私の島原での弾圧の記憶と舞台の上とがリンクし始め、物語の世界にどっぷりとはまり始める。杏子の登場のかっこよさに惚れ惚れとし、階段奥で演奏しているミュージシャンたちの集中力に驚く。上川隆也の立ち回りの切れ味に流石と唸り、中川晃教の「これは確かに神の声だ」と思わせる歌に体内に風が吹く感覚を味わう。
「ようやく新感線らしくなってきたな」と言う上川さんのセリフに「ああ、これが新感線テイストなのか」と、ギャグと踊りと小気味いいセリフたちに人気劇団たる所以を知る。

「島原中のキリシタンに檄を飛ばせ!益田四郎時貞起てり!」「死ぬしかないなんて間違ってる」「握った拳に神は宿る!」高揚する気持ち。確かこの後島原の乱は鎮圧されるんだとかすかに意識しながらも(皆殺しという記憶、知識はなかった)舞台の上の人たちと同じように心に宿る自由に拳を握り締めていたのだ。すでに舞台の上の彼らは、上川隆也ではなく島原の四郎に、中川晃教は天草のシロー、高橋由美子はちびっこだけど気の強い寿庵になっていた。杏子だけは、杏子だったけど…


25分の幕間にワインなんぞ飲んで“帝劇”を味わう。いつも行くライブとは確かに異なる雰囲気(年齢も服装もライブよりずっとお上品だ)に、劇場の空間の中をたゆたう。舞台の上と客席とが同じ色に染まりつつあるその心地よさに、瞬発力だけではとてももたない長丁場を乗り切る物語の深みに、今まで味わったことのない快感と興奮を感じていた。(その勢いでパンフ買っちゃった)


第二幕。より鮮明になっていく人々の想い。重なり合う想い、すれ違う想い。シローがかわいそうで、お密が哀れで、四郎が痛々しくて寿庵が切なくて涙が出そうになる。皆殺しにされる、皆殺しになることを選んだ民衆の強さを思い、それを率いてきたはずの二人のしろうの弱さを思う。
リオのキスによって復活したシローの透き通る、天に届く声。その響きの中で「もう一度だけ奇跡を」と神に、一度は捨てようとした神に祈り奇跡を起こす四郎。復活する寿庵。予想された展開とはいえ、いや、予想された展開だからこそ心を打つ。
伊豆守たちがどんな国を作ったのか…モニターに映る戦争の映像。きのこ雲、イスラム世界。はらいそに行った御霊はどんな思いで今の日本を世界を見つめているんだろう。私は?私もこの世界を形作る一人。私は…





カーテンコールになって明るい表情で挨拶をする役者さんたちに、階段下から舞台前方まで出てきて弾きまくるミュージシャンたちに、スタンディングオベーションするお客さんにほっとしながら(でも総立ちになるのが当たり前のライブ出身者としてはかなりおとなしめだなあ、これが演劇なのかと思った)家路に着いた。


なんせ2時間かかる電車での道のり。衝動買いしたパンフを読みながら、頭の中でそれぞれのシーンを思い出し、反芻し。さんちゃご歌おう、とか、風がうたう、とか、光は今我らに、とか、頭の中で歌いまくり。
帰宅後さっそく残りの公演日のチケットをチェック!12000円だぞ、いいのか?と自問自答しながら結局買うことになってしまうんだなあ。

次回に続く

山崎まさよしOKST 4公演 44,200円

山崎まさよし
01 /20 2005
今日払い込むつもりだったのが、家族名義分の会員番号がわからず出せずじまい。やっぱり、夕べのうちに書いておくんだった。明日の空き時間に何とか言い訳つけて郵便局まで行ってこよう。
これはもう収支なんか考えずに思いっきり楽しめる、って言うかこれがないと生きていけない体になってしまっているのである意味生活必需品(笑)43本中7本てのは納得いかないけどFC席ならいいとこ取れるだろうし、間近でまさよしくんを味わって(味わって?!)来ましょう。

私的初日市川まであと50日ちょっと。もうセットリストとか演出とか考え始めてるんだろうな。アルバム発売なしで行う今回のツアー。どんな歌を歌ってくれるんだろう。どんなまさよしくんを見せてくれるんだろう。

SHIROH大阪千秋楽Z席 5000円

演劇
01 /18 2005
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さて、いよいよ大阪へ出発。
まさよしライブでだってやったことのない平日1日休み。(あ、TTT千秋楽は休んだね。でもあの時は「がくせい」だた)そんなことをさせてしまうSHIROHがすごいのか。やってしまう自分がすごいのか。
さあ、朝ごはん食べて。出発だぁ!帰ってきたら収支決算。きっと大黒字だろうけど。

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大阪往復 28640円(T_T)

演劇
01 /17 2005
YHOOOの検索にて割り出した交通費。10日間に大阪2往復なんてことになるなら格安チケット買っておくんだった。
大阪千秋楽の「SHIROH」 舞台見るために通うようになるとは。

まさやんはじめ音楽ライブのツアーに何回も行くことをいぶかしむ人に「ライブは生き物。1回1回がまったく違う。たとえ同じ曲をやったとしてもそこには今日しかないライブがあるんだ!」なんて偉そうなことを言っていた私でもストーリーのある舞台に対してリピーターになるとは思いもよらなかった。
音楽ファンが「ライブ」に今を求めるように、演劇ファンも舞台に「今」を求めるんだということも驚きだった。ミュージカルだからということではなさそうで… 「一度は見とかないと」感覚で劇場に行く人ももちろん多いのだろうけど、それよりももっとその時限りの一体感、充足感を味わうために、昨日とは違う何かを感じとるために通う人もたくさんいるんだなあ。

音楽でも、演劇でも何でも、やっぱ「生」にはかなわない。だから通っちゃうんだ。だからはまっちゃうんだ。明日の千秋楽、目いっぱい楽しむぞ!

演劇ブック750円 ダ・ヴィンチ450円

日記
01 /16 2005
誕生日に何とかブログ登録完了。まだ書き方とかよくわからないところもあるけど、まあ、何とかなるでしょう。 本日の娯楽教養費は雑誌2冊。SHIROHつながりで、演劇ブック。活字中毒の処方箋代わりにダ・ヴィンチ。・・・っても、どこのブログにするか情報集めたり、これの設定やらで読んでないんで、黒字か赤字かは判定できないんだけど。でもSHIROHの写真とか文章とかも結構よさそうなんで演劇ブックは「黒字」かな? 明後日のSHIROH大楽遠征と、20日に払込に行くOKSTがぜひぜひ大黒字になってほしいです。考えたらその2回で、えと、7万… はははは。考えるちょっとびっくりだわ。(あ、その前にももうOKST@青森に1万円振り込んでたんだ。こいつぁ春から縁起がいいやあ(*_*))