オーキャンが挟まってしまって間が空きましたが、その3です。この旅のメインの目的である「武市半平太の手紙展」。
半平太が『伝』のなかで切腹する前、高知県立歴史民俗資料館で展示されているうちに観に行きたかったのですが、勤め人の哀しさ。どう考えたってそんな時期に休みが取れるはずもなく… でも! 今回晴れて行って来ました! そんで、中岡慎太郎記念館でこの特別展示を見られたことがより深い半平太への思いを育んでくれたと確信しています。ええですよ、中岡慎太郎館。北川村の雰囲気。どっこも高知の人たち優しかったけれど、北川村のあのな~んもない中の、郷土への思い、郷土のHEROへの思い。心地よかったです。
高知駅発 8:30 一日乗り放題切符 途中からJRじゃなくなるんだよ。
安芸を通過して奈半利まで。奈半利までは1両だけ。とことことことこ。
波打ち際のかなり近くまで船がやって来ているのにびっくり。内房も外房も房総半島の海は限りなく遠浅なんで、澪が作られている明確な「港への水路」以外は船は岸に近づいてこないのに…黒潮洗うthe太平洋!は豪快じゃった。
奈半利駅前から北川村営バスで中岡慎太郎館へ向かう。バスの行き先表示は「モネの庭」。
「えと、これでモネの庭まで行って、そこから中岡慎太郎館まで歩くとかできるんですか?」なんていう、かなりお間抜けな質問をした私に(行けるもんなら行ってみろってところですよ。まあ、中岡はそういう道を通ったみたいですが。現代人には、無理!!)「いや、中岡慎太郎館まで行きますよ。」「帰りは11:30発があって、それを逃すと15時までないです。」「モネの庭からなら12時以降も1時間に1本ぐらいは出てますけど」そんな必須情報を教えていただいて、バスに乗り込みます。
乗客は私一人だけ。片道380円。21人乗りのマイクロバスです。
奈半利川沿いの感動的な山道(山道って言うのはこーゆーのを言うんだという、まさに「山道」)をぐるぐると回りながら北川村に入っていきました。運転手さんはたった一人の乗客である私にあれこれ説明をしてくれる。歴史のこととか、ドラマのこととかじゃなくて、今を生きる北川村を。
北川村営バスの終着点。中岡慎太郎館。こんな小さな村に?! って思わずつぶやいてしまうくらい力の入った展示館。バスの回転場を含めた記念館、その向かい側一段低くなったところにある慎太郎の生家。北川村一番のヒーローである慎太郎を愛してやまない村の人々の思いが伝わる施設でした。
特別展(半平太の手紙展)を見に行ったのではあるけれど、常設展を見ない失礼はしたくない。きちんと1階の「順路」通りに回る。
ひたすら中岡の生涯を追う展示だけれど半平太の名前がそこかしこに現れる。田野学館で二人が出会ったとき中岡18歳、半平太27歳かな? 「運命的な出会い」とまで書かれている中岡meets半平太なのに(-_-;) 伝め。血盟録では17番めに署名。十分中心人物なのに…上川隆也なのに… 以蔵がドラマの中で「武市先生が教えてくださるとようわかる」って言ったあのときには中岡は武市道場に下宿してたんだって。北川村遠いし、武市先生に心酔してたしってことで。だけど、ドラマでは…(/_;)
あまりじっくり見ていると半平太の手紙展が見られなくなると少し心を残しながら1階終了。
階段を上がって2階へ。階段右手が特別展。入り口左手に貼られた1枚の紙。今回の企画展を行うに当たっての館長さんからのお言葉。泣ける。
「武市半平太は郷士のなかでも比較的裕福な白札の家に生まれました。/若い頃から国学や剣術を学び、のちには強烈な尊皇攘夷の志士になったことはあまりにも有名です。しかし、最近では、吉田東洋の暗殺など、過激な思想・行動のみがとりざたされ、等身大の姿が見えにくくなっているのではないでしょうか。今回の企画展では、几帳面な半平太が妻・冨に宛てた手紙を通して、人間・半平太に迫りました。(後略)」
ありがとうございます。私にとって「大切な存在」になった武市半平太をずっと昔から、中岡に関わる大切な人間として愛してきてくださった館長さんや、地元の人や、企画をしてくださった方や…そんな方々にただ「ありがとうございます」しかありません。
ドラマの影響で太くおおらかな文字を想像していたけれど実際の半平太の手紙は細くて細かな文字でびっしりと紙面を埋め尽くしてあった。あの太くておおらかな文字はテレビ画面に映ることを考えての演出なんですね。他の手紙類と比べて富さん宛はひらがなが多いのはその通りですが。
政治的なことも含めてそのときの事情や状況などが詳しく書かれています。文字だけでなく、内容的にもとても細かいのです。「ただ妻を思ってではなく、土佐勤王党の活動の記録として残す意図があったのではないか」そんな解説の文章になるほどと思いました。獄にあった1年半程の日々の中で「土佐勤王党」を守るためにどれだけの闘争を繰り広げたか、その一端が妻宛の手紙からも読み取れます。
たくさんの手紙たちと一緒に展示されていたのは「切腹の時に使った短刀」その時「実際に身につけていた下着(血痕つき)」、普段身につけていた長刀などを見て…「ああこの人は本当に生きていたんだなあ…」とあまりにもあたりまえのことを実感しました。わずか150年前。確かに彼が生きていた証。筆を持って手紙を書く姿、静かに紙に向かい絵を描く姿、刀を構える剣豪としての姿が現実のものとして脳裏に浮かんできた。(まあ、姿形は大森南朋なんだけれど^^;)
伝の撮影に入る前に南朋たんが墓、生家、銅像、青山文庫などをめぐってこれら史料を見たとき、彼もきっと同じように思ったのだと思う。「半平太は確かに生きていた人間」であったと。ドラマであり、創作ではあるけれど、確かに生きていた人間として自分も生ききろう、死にきろうと決意したのではないかと思った。
福田さんも脚本書く前にちゃんとそれぞれの人の遺したものを見て「生きていた」ことを実感してくれたらよかったのに。
「土佐勤王党盟主 武市半平太の手紙」 ー拝啓 おとみ殿ー
血盟で結ばれた土佐勤王党。その盟主の獄中からの妻への手紙。
その中に見る勤王党の激しい動きと、あつい夫婦の愛をさぐる。
また刀剣など武市家に伝わるゆかりの遺品も一堂に展示。
高知県立歴史民俗資料館・中岡慎太郎館共同企画展。
開催期間
2010年7月10日(土)~9月12日(日)中岡慎太郎館
開催場所:中岡慎太郎館
2階多目的ホール
9月12日で終了です。お急ぎください!
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