夕べ(日付的には今日だけど)帰宅してつけたテレビに左官職人、挾土(はさど)秀平さんが映っていた。プロフェッショナル仕事の流儀の特別編。岡村とプロの人が語り合う回の未放送分蔵出し的なやつだった。挾土(はさど)秀平さんは土壁をつくる職人さん。今度の大河「真田丸」の題字を書いた人だ。
彼の回の仕事の流儀は見ているし、今回の真田丸の番宣であれこれ出ているのも見ていて、なかなかにかっこいい人だなあとは思っていたのだけれど。その彼が言った言葉にまさよしのことを思った。
「不安でいいんです」
「不安があってこその職人です」
録画もなんもしてないんで正確ではないと思うのですが、あちこち探してみるとこんな言葉が出てきたので内容としてはあっていると思うの。
『職人は臆病であれ』
「常に臆病な人間でないと、成功っていうのはないんじゃないですか。失敗するんじゃないかと思うから、念には念を入れて、でも待てよ、でも待てよってなるんでしょ。」
臆病に、臆病に。挾土は職場でそう繰り返す。
習志野公演はそれはそれは楽しゅうございました。
エレキギター構えてがっと腰を落としたタイミングでばっちり目が合って(*^。^*) 「ひゃはは~、今日はこれでもらったね!」って思ったの! 他にもあ~んなことやこ~んなことがあって。最前センターでがっつりロックオンされちゃった9歳女子、11歳男子に向けるまなざしの優しさや微笑みかける回数には負けたかもだけどそれはそれは「私のための!」ライブだったのよ!
プチ打ち上げご一緒した友達は「しゃべるときはめっちゃこっち見てた! あの子らには負けたかもだけれど、めっちゃこっち見てたんだから!」て言ったし、お隣だった某女性からは「たくさん目が合って、私のために歌ってくれて、私のためにHappy Birthdayを歌ってくれたんだもん!」ってメールをくれました。(しかし彼女の名は明確に「カズコさん」ではない^_^;)
上手にいる人も下手にいる人も、最前列の人もそうじゃない人もみんな「あたしを見てくれた!」「目があったんだもん!」って、わーきゃー言えるくらい、客席を見渡して微笑んで話しかけて楽しんでいるかどうか気にかけてくれて…。
そんな風にせずにはいられないほど
まさよしは不安なんだろうなあって、思ったのよ。
だから、帰宅してすぐ見たテレビで語っている挾土さんの言葉になんだか捕らわれちゃったのです。
今回の、というか、ゲンちゃんがいなくなっての特別バージョンでのライブに関して自信がないっていうか「どうなの?」っていう気持ちがすごく強いように感じるのね。
普段のライブなら指がつって演奏できなくなろうが声がひっくり返ったり出なかったりで「をいをい」って状態になろうが自分で自分の状態を把握してそれなりに客観的かつ主体的に自分(たちの)ライブを評価できていたと思うんだ。それがさ。
今回のこんなことはやったこともなければ聴いたこともない。二人しかいないで三人分のあれこれをみんなで力を合わせてやってはいるけれど……「どうなの?」って。音楽的にも興行的にも、「どうなの?」って。
本人も、アホなMCした後「俺たち、これ回すのだけでマックスなんです! 勘弁してください。」的なことを言ってね。(MCの話題が「それは触れちゃいかんやろ」的なものばかりで、もう本当にどうしたもんかって感じだったんです)いっぱいいっぱいなんだって白状していたんだけど、本当に今までのように「好き勝手にやれせてもらいます!」という自信が感じられなかったの。
だから、やたら客席を気にして見つめて語りかけて微笑んで。そして笑顔が弾けた。いいライブができているか、不安で一杯のこのやり方で自分の音楽は届いているのか、それを確認するたった一つの支えが、お客さんの表情、佇まい、笑顔。
そう思えたんだ。
アコギ抱えて両足踏ん張って、エレキ抱えてワウペダル腰入れて踏みまくって。その姿を支えているのは、アタシたちの笑顔だって、思った。
「がんばって!」なんて言うつもりはない。応援するとか、無理して盛り上げるとかそんな失礼なことはしない。でも、私たちが心の底から楽しんで笑って、バラードには涙して、アホなMCには突っ込んで、いつもと変わらぬ姿でいることが、いることでやつはステージに立ち続けていられるのだろうと……思った。
帰ってきて見たテレビ。
不安でいいんです。不安だからこそ確かめよう、より良いものにしようという思いが生まれる。職人はそうじゃなければいけません。
まさよしは、職人ではない?
いや、自分の音を創り届けるその一つのことに不安の中で命がけで取り組んでいる職人だと、挾土さんの言葉を聞いて思ったのです。
お客さんたちに音を届けようとするまさよしの踏ん張った足元に私たちの笑顔=楽しむ気持ちがびっしり詰まっている…そんなことを考えた、感じた3時間でした。
日替わり曲とセトリは追記でね!