山崎まさよしにおける「君」考、あるいは「未来へ……」における父ズの不在について
山崎まさよしんとですね。ツアーで「君の名前」を歌う前にいろいろ言うじゃないですか。君の名前という歌そのものよりも、あのMCのせいで(最初のMV創りのころからっていう話もあるなあ)なんだかなあ気分が高まったりするわけですよ。孤独をまとった山崎まさよしが、好きだったのに…(靖子のセリフでお願いします)ってね。
上手くいっている恋愛を歌ってもそんなんおもしろくないやろ? 上手くいかんから歌になるっていうか、歌いたいっていうか…みたいなことを若いころに言っていた山崎まさよしが、子どもが~嫁が~なんてことを言いながら歌を創ったり歌ったりするようになることがなんだか、なんだか、なんだかなんだよね。
そういう気分が結婚する前からファンやっている人の間に漂っているのは事実で。まさよしが大きく変わってしまったようでなんだかなあぁって思ってしまっていて。そんで…(こっから先、何言ってんの?! 的な文章になります。ま、いつもそうだって言えばそうなんですが。素子さんネタ、まさよしネタどっちつかずの感が…お暇でしたらお読みください。)
こんなツイートを見かけたんです。
おしまいの日
おしまいの日はだんなが仕事で忙しくて過労死してしまうんではないかという不安に襲われて、だんだん精神に異常をきたしていくっていう設定なんです。(あまりにざっくりですが)文章だけでなく、印刷の仕方とかも含めてすっごく怖いの。最後はもう、救いがない感じで終わるんです。確か。
それに対して未来へ……では、娘、息子の命、果ては自分の命までかかっている一大事に父であり旦那である男性陣はその姿をほとんどあらわすことなく物語は大団円を迎えるのです。書下ろしの物語でも父は…登場しません。でも、妻も娘も元気です。精一杯自分の時間を生きてます。未来へ向かって。
この二つの作品の間にあるのは22年という月日。まさよしのデビューから今までと同じくらいの時間。
その二つの物語の中で主人公は変わったのではなく、豊かになったのだと、あのツイートが教えてくれたんです。
自分にとって大切な人を本当に大切に思う気持ちは変わらない。だが、それの表し方が変化した、いや、豊かになった、と。
で、まさよしです。まさよしの歌う「君」です。二人称代名詞。時に「おまえ」とか「あなた」とかにもなる「君」です。
月明かりでも、Onemoreでも、ツバメでもドミノでもプラソでも全君でも・・・もちろん君の名前でも出てくる「君」です。
変わんないんですよね。うん。変わってない。つまり、その時の自分にとって大切な人であること。自分の生活の中で、地に足つけたLIFEの中で、確かに存在している、存在していた「大切な人」、それが「君」。どんな人かどんな関係かはその時々によって変化するけれど、ただ一つ揺るがない「大切な人」であること。
それだけなんだと、そこには何の変化もないんだと思ったっていうか、気づいたっていうか。
ライブでのMCにしても「スーツで挨拶」事件を例にとるまでもなく、な~んも考えないでその時思いついたことや実際にあったことをすっと(うっかり、とも言うな)言っているだけなんだろうし。そういうMCだから余計気になるんじゃ! っていうのは事実だけれどね。嘘がつけないんなら、黙ってたらいいのに…とは、思うよ。うん。よちよちと歩いてきた娘が自分に抱き着こうとすると股間に頭が当たって、痛いんだけど嬉しい・・・そういうセリフを何回も繰り返して言わんでもいい!! とは思うけど。
自分の心の中を占めているものごとからしか、言葉は出てこないんだよね。オチなんかつけられなくても、まとまらなくても、曲と全くからまなくても。
そんで。これからも大切な「君」を、「大切だ」と歌っていくんだろうね。
♪言葉にできない愛しさの中で
さて、そろそろカナケンのチケットが届くかな??!!